更新日:2022年03月30日
次代を担う料理人へのエール
基本をしっかり
勉強してほしい
高橋 恒雄シェフ
(たかはし塾)
米粒を選り分けたことがありますか
私は1965(昭和40)年、天皇家の日常のお食事や宮中晩さん会の料理を作る、宮内庁大膳課に奉職しました。華やかな仕事を想像なさる方がいるかもしれませんが、働き始めた当時、出勤してまずお風呂に入り身を清め最初にやる仕事は、その日に炊くお米の選別でした。1合当たりの米粒の数をご存じですか。おおむね6450~6500粒です。テンパンにお米を広げて、それらを1粒ずつ箸で選り分けるのです。毎日3合、2万粒弱を選り分けます。
今では考えられませんが、当時ご飯を食べているときによくジャリと石が入っていることがありました。当時の精米技術ではそんなものでした。黒や灰色なら分かりますが、米粒と見分けのつかない白い石も混ざっていたのです。地道な作業ですが、気は抜けません。こちらは見落としても2万分の1、でもそれが当たった方は100%駄目です。「確かなものをお出しするために、自分の責任で素材を吟味する」という料理人にとっての基本ですね。お米の粒もみな楕円形ではありません。欠けたものや色の違うものなども混じっています。炊きあがったときに揃っていた方が綺麗です。料理人として、形を揃えるということはとても大事なことです。お米の選別はとてもいい勉強になりました。
「同じものを同じ状態で出す」難しさ
若い皆さんは、いろんなことを覚えて、いろんなものを作ってみたいと思います。しかし、一番大切で難しいのは、普段日常でやっている作業や調理です。毎日同じものを、同じ状態で出す。これほど難しく奥深いことはありません。毎日同じことをやっていると慣れも出てきて気の緩みが出ます。ご飯を毎日同じ状態に炊きあげることがどれだけ難しいことか。季節、産地、米粒の水分量、その日の気温や湿度も違ってきます。さらに、召し上がる方のお好みもあります。
今は電気釜がありますが、それでも毎日同じ状態に炊くには工夫が必要です。パン作りも同じで、気温や湿度が異なるなかで、毎回、同じ加減で仕上げるのはとても難しいことなのです。
両陛下のお食事を担当していて一番難しいのは、お召し上がりになる方が365日同じだということです。日々のお献立には季節感を盛り込み、限られたその季節の素材で毎日変化を付けてお食事をお楽しみいただけるよう、お作りしお出しすることです。皇居のお庭には四季折々いろいろな山菜などが芽吹きます。両陛下は毎朝お庭をご散策されますので、春先などは土筆が生えている場所をご連絡いただき、よく取りに行ってお出ししました。両陛下はとても季節感を大事になされますので、“走り”の物などはお好みにならないのです。
両陛下は地方にお出ましになると、その地域で最高の料理人が、その時期その土地の旬の食材で作ったものをお召し上がりになります。旬の最高の食材は、その地域で消費されてしまい、私たちがご用意できる食材は築地に入って来るものだけ。毎日使える食材は限られています。そのような中、いろいろな食材の組み合わせで頭を悩ませる毎日でしたが、とても充実していました。私たちのお作りする料理を通じて両陛下が四季をお感じになり、お食事を楽しんでいただけていることが嬉しかったからです。お召し上がりになる方と、その季節の素材を思い遣る心が、料理人にとって一番大切なのではないでしょうか。
一つのことを誰にも負けないように
若い皆さんには、基本をしっかり勉強してほしいと思います。一つのことを誰にも負けないように何度でも取り組むことが大切です。一つのことが見えてくると一気に視野が広がります。原理原則が理解でき、応用が利くようになります。今は情報化社会で、便利な世の中です。ネットで生地や出汁のレシピも検索できます。ボタン一つで調理をしてくれる厨房機器もあります。でも、その便利さに慣れきって、それらの情報や機器がないと何もできないようでは困ります。「あなた料理人でしょ」と言われたときに、「〇〇がないから、作れません」などとは言えません。いつ災害が起きて停電するかもしれません。フライパン一つで料理が作れる料理人であってほしいのです。
フライパン一つで人を笑顔に
私自身、東日本大震災のボランティア活動に携わり、炊き出しや仮設住宅での料理教室などを経験してきました。人は美味しいものを食べると自然に笑顔になります。こんな体験が被災地では何度もありました。難しい料理ではなく、どこでも手に入る材料と道具で簡単に作れるもので良いのです。一緒に作って一緒に食べて、美味しかった昔の話をして、そんな和やかな時間がとても大事です。何もかも失って何もやる気になれない、食べる場所もみな流されてしまって、食べる楽しみも忘れてしまっている、そんな状況でしたが、真心のこもった料理が笑顔を取り戻してくれることを改めて知ることとなりました。
被災地で一番多く作ったのは桜餅とわらび餅です。皆さんの心に早く春が来てほしいとの願いを込めました。桜餅はガスコンロとテフロンのフライパン、あるいはホットプレートがあればできます。材料も薄力粉と白玉粉と砂糖と水、そして餡があればできます。桜の葉の塩漬けだけは東京から持参しました。わらび餅は片栗粉、砂糖、水さえあれば簡単にできます。作ってみると、完成したときの達成感があって、「おいしい」と、皆さん喜んでくださいました。「震災後、初めて笑いました」と話す参加者も何人かいました。仮設住宅の狭いキッチンで小さなコンロとフライパン一つでできる、簡単で美味しい料理を何品か考えて実践してきました。
宮中晩さん会のような料理でも、フライパン一つで作れる料理でも、「美味しい」と言って喜んでくれる。その大切なひと言をもらえるようになるには、相手を思い遣り、どのような状況でも応用が利く知識と技術の基本を身に付けることです。若い料理人の皆さんにはぜひ、人を笑顔にできる料理人を目指してほしいと思います。
1943年群馬県生まれ。65年に宮内庁大膳課に入り、主厨長として定年を向かえた後、引き続き侍従食嘱託として3年間奉職する。「天皇の料理番」として小説やテレビドラマで注目された秋山徳蔵氏の最後の弟子。現在は、料理の楽しさやすばらしさを伝える「たかはし塾」を主宰し、全国を飛び回るほか、「ボランティア集結を応援する会」「復活応援フェニックス」など、東北の被災地を支援する活動を積極的に行っている。コロナ禍においては、子供食堂などにお菓子や簡単料理のレシピ本などを送る活動に取り組んでいる。
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